【「耳寄りのお話」ー「アリゾナ・メモリアル」見聞記」】のページ


●●「アリゾナ・メモリアル」見聞記●●
■1・入り口の表示

アリゾナ・メモリアルを見聞した印象記をご紹介します。
日本軍の真珠湾奇襲作戦で米軍ハワイ艦隊は大被害を蒙りました。「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に アメリカは国内世論を高揚させ、戦争に向ったことは周知の通り。
アメリカは真珠湾で何を伝えんとしているのか、興味深く見聞してきました。 2001年9月11日に同時多発テロ事件があり、その後2〜3年間は日本からの観光客が激減し、ハワイの経済 が大打撃を受けたと言います。我々が見学したのは2006年2月でしたから、日本人の観光客も回復しつつある 時期でした。しかし、我々を除くとアジア系は中国人、韓国人の団体が居た位で、日本人の観光客には出会いませんでした。 しかし日本人なら一度は見ておく価値があります。
■2・入り口ゲート付近■
ホノルル市内からのバスはこの辺に止まります。この奥突き当りが入り口になります。







■3・戦艦アリゾナの勇姿(絵)
入場すると正面に戦艦アリゾナの勇姿が迎えてくれます。 戦艦アリゾナ号の「メモリアル」へ行く前にまずセンターにあるシネマ館で当時の貴重なフィルムを見せてくれます。
約20分の上映時間ですが、実によく編集されていて、真珠湾攻撃の映像だけでなく世界が大戦へ向かって進んでいく 過程がよく説明されています。メディアの中継が戦場からリアルタイムで届く現代ですが、こちらのモノクロの生々しい 映像はその上をいく迫力です。有料の日本語用のイヤフォンがあるので、借りて必ず見る価値があります。
もちろん英語に堪能な方にはイアホンは必要ありませんが・・。


■4.2つの記念碑
真珠湾に面した庭内から、遥かに戦艦ミズーリ号と「アリゾナ・ メモリアル」が遠望できます。

アメリカは、大東亜戦争の開始となった真珠湾奇襲攻撃のシンボルとしての「アリゾナ・メモリアル」と、それを終わ らせた降伏調印の会場・「戦艦ミズーリ号」、この2つの象徴的な記念物を真珠湾に配置しているようです。




■5・資料館とシネマ館
シネマ館で約20分の真珠湾奇襲のモノクロ映像を見て、それから 連絡船で真珠湾内に沈んでいる戦艦アリゾナ号の上に作られた「アリゾナ・メモリアル」へ向かいます。
今回、 このシネマ館で、「リメンバー・パールハーバー」をどのようなニュアンスで話がされているのかが、最大の関心事でした。 しかし実際に日本語のイヤフォンで聞いた説明では「リメンバー・パールハーバー」を 合言葉に一方的に日本側の非を責めるトーンは薄かったように感じました。
「日本軍の接近を探知したので本国に照会したが『友軍機である』と報告されて警戒を解いた」という説明もありました。 日本だまし討ち説が影を潜めているのは戦勝国の余裕でしょうか。ハワイは日本人観光客により経済が維持されており、パールハーバー の説明も日本寄りになっている可能性もあるかも知れません。

■6・資料館
この写真は資料館の展示物です。第二次大戦の様々な情報が展示されています。 見学者が多いと映像を見るまでの待ち時間に、この資料館を見学できます。






■7・アリゾナ・メモリアル模型
資料館の中に、戦艦アリゾナ号が沈没している船体の上に 「アリゾナ・メモリアル」が造られていることを示す模型がありました。
戦艦アリゾナ号の轟沈と共に1174名の米国将兵が犠牲になりましたが、アメリカ政府はアリゾナの損傷がひどいので、引き揚げを断念、 戦死者の遺体もそのままに墓標として、「メモリアル」として遺しました。



■8・中庭は長蛇の列
各国から観光客が列をなして並んでいました。日本人の観光客 の姿は我々の外には見かけませんでした。
並んで居ると英語で「中国人か?」と聞かれたので「日本人だ」と答えた。 ホノルルの街の中は日本人が群れているが、ここにはあまり日本人は来ていないのだろうか。







■9.「メモリアル」へは連絡船で・・
シネマが終わると、この連絡船で沖合いのメモリアルに向かいます。わずか10分ほどでメモリアルに到着します。
湾内の数箇所に損害を受けた艦船の名前が表示されていました。
この連絡船の運航も、アリゾナ記念館の運営もすべて米軍の関係者で行われているようでした。







■10・日米の被害・損害
●大日本帝国海軍
・航空機:29機 損傷:74機 ・戦死:65名
・特殊潜航艇:5隻
●米国海軍
・戦死者2403名、負傷兵1178名
・戦艦4隻撃沈、4隻航行不能など21隻の艦艇が被害
・航空機328機が破壊
(戦艦の被害)・・・右の写真は被災後の戦艦アリゾナの姿
・戦艦カリフォルニア号・・沈没 ・・・・1942・3復帰
・戦艦オクラホマ号・・・沈没 ・・・・・・スクラップ
・戦艦メリーランド号・・損傷軽微・・・・・1943・復帰
・戦艦テネシー号・・半壊・・・・・・・・・・・・・・復帰
・戦艦ウェストバージニア号・・沈没・・・・1944・復帰
・戦艦アリゾナ号・・沈没・死者1177名・・・メモリアル
・戦艦ネバダ号・・半壊・・・・・・・・・・・・・・・復帰
・戦艦ユタ号・・・転覆・・・・・・・・・・・・・・・復帰


■11・「アリゾナ・メモリアル」入り口
桟橋から「メモリアル」の中に入る。 アメリカ政府は、真珠湾攻撃のシンボルとして、 戦艦アリゾナの引揚げを中止し、墓標とした。今なお沈んだままの船体に遺体があるという。 その船体の上に「メモリアル」を作って、真珠湾奇襲攻撃の有様を保存しながら慰霊の場所としている。





■12.「アリゾナ・メモリアル」と戦艦アリゾナの図面
メモリアルの屋内に入ると、中央に図面台が置いてある。
一見するだけで今居るメモリアルの大きさと 水面下の戦艦アリゾナの大きさの関係がよく分かる。









■図面に2箇所の円形部分が見えるが、砲塔の台座部分であり、 海面上に出ている部分である。










■13・沈没場所の標識
真珠湾内の各戦艦の沈没場所に標識が作られていた。







■14.大砲の台座
メモリアルの窓から見える大砲の台座の部分。 一部が海上に露出していて、痛々しい臨場感がある。水面下に戦艦アリゾナの姿がおぼろげに見える。






■15・60余年前の油が今もなお湧き出ている!
絶えずアリゾナの船体から重油がわずかながら湧き出ているのが確認できる。








■この部分も油膜が見えている。60余年も昔の重油なのか・・と考えると感慨深い。

日本からの宣戦布告が遅れたことは事実であり、日本軍のだまし討ち説の根拠になっているが、アメリカは第二次世界大戦後に 参戦した殆どの戦争(ベトナム戦争やパナマ侵攻、イラク戦争など)において宣戦布告を行っていない。



■16・慰霊の間
戦艦アリゾナの剰員で戦没者1177名余の全員の氏名が 掲示されている慰霊の間は、この奥にある。正面の壁面に戦没者の氏名が見える。





■17・慰霊の間の戦没者氏名
さすがにこの空間には厳かな雰囲気が漂っていました。 戦没者を慰霊する祭壇に向かって黙祷する。戦争の悲惨さを実感させてくれる空間でもある。






■18・覗き窓のようなアリゾナの船体を覗けるコーナー
アリゾナ・メモリアル内の慰霊の間の前に、アリゾナの船体を覗けるように床が切られているコーナーがあり、観光客は そこから水面下の船体を覗いている。






■19・病院船ソレース
ホノルルで購入した真珠湾攻撃に関する書籍には、日本軍 は、その日真珠湾に停泊していた病院船ソレースには攻撃しなった・・と書いてあった。
真珠湾奇襲攻撃は第1波と2波の攻撃は艦船と航空 機を集中攻撃し、第3波の攻撃で、地上の軍事施設を狙う計画であったが、結果的には第3波の攻撃を中止した。
その結果、真珠湾内のドックや石油貯蔵所は無傷で残った。日本軍が撃沈させた戦艦4隻、航行不能4隻、計8隻中、6隻は数年 以内に修理されて、戦線に復帰したという。









■20・真珠湾奇襲時の米国海軍船舶の配置
この地図はホノルルで求めた真珠湾関連の書籍から参照しました。中央の島が現在も米軍基地になっており、戦艦ミズーリ号が係留 されている島(基地)である。
アメリカ軍の受けた被害は、戦艦などの艦船と飛行場などに集中し、人的被害は小さかった。艦船の乗組員の多くは上陸していたためである。 乗艦を失った乗組員の多くは、新たに建造された空母へと配置転換され、むしろアメリカ海軍の航空主兵への転換を手助けしたとも言われている。 追加的な攻撃もなされなかったため、乾ドックなど港湾施設の損害も少なかった。これは沈んだ戦艦の再生など被害からの復旧の助けとなった。


■21・真珠湾攻撃のルート
日本軍はオアフ島の真珠湾のみならず、島内の他の基地、特に航空隊基地をも攻撃した。
真珠湾攻撃で日本側には航空機が未帰還機29機、損傷機74機、戦死55名、特殊潜航艇の未旗艦艇5隻で戦死9名、捕虜1名であった。
戦死者は計64名であるが、ハワイでのこの64名の戦死者の慰霊祭が行われたのはごく最近の2003年のことであった。 ハワイには日本の各宗派のお寺が数多くあるが、唯一日蓮宗妙法寺が慰霊祭を行ってくれたという。


■22・アリゾナ・メモリアルからの遠望風景
遥か沖合いに見える橋が戦艦ミズーリ号が停泊している基地の島と本土を結んでいる。






■23・連絡船からの遠望
遥かに戦艦ミズーリ号が見える。大東亜戦争の終結を見守った戦艦ミズーリ号が、その戦争のスタートとなった真珠湾奇襲攻撃の 象徴であるアリゾナ・メモリアルを静かに見つめているという構図になっている。アメリカは、真珠湾でかくもひどい先制攻撃を受けたが、 日本を撃破して、戦いには勝利したという力を世界に誇示しているように見える。







★50年経過するとアメリカ政府は全ての公文書を公開しています。
『「真珠湾の真実」ルーズベルト欺瞞の日々』 (ロバート・B・ステイネット著)は、公開された当時の資料から書かれたといいます。この本によると日本側の暗号はすべて解読されており、真珠湾奇襲攻撃 もアメリカ側は待ち受けていたと記述されています。この見解は公式の真珠湾奇襲攻撃の史実として認められてはいません。真実は今も闇の中にあります。 この本は一読の価値があります。 (完)