【「江戸時代の教育」−「実語教」】のページ


○江戸時代の教育は世界に冠たるものであった。その教育が近代日本を創った!
  区分 内容・解説
実語教・解説 底本は菊池所蔵の整版本。大本。赤茶色表紙。題簽剥落。
副題簽に「五堪忍」とあって、「争」「色」「奢」「欲」 「冨」の各項目について3行ずつ説明がある。
扉には「実語教/童子教/東都 仙鶴堂寿梓」、巻末の 刊記には「文化十一甲戌年正月発行/御江戸通油町北川 中程/地本問屋 鶴屋喜右衛門寿梓」とある。
本文上欄には、「江戸名所神社仏閣大概略縁起并図」が 掲載されている。
本文は漢文に返り点と読み仮名を付けている。ここでは、 初めに読み下し、次に漢文のみ(白文)、最後に仮名書 きで読み方を示すこととする。仮名遣いは原文通り。

実語教・仮名文編 山高きが故に貴(たつと)からず。
樹(き)有るを以て貴しとす。
人肥へたるが故に貴からず。
智有るを以て貴しとす。
富は是(これ)一生の財(ざい)。
身滅すれば即ち共に滅す。
智は是万代(ばんだい)の財(たから)。
命(いのち)終れば即ち随つて行く。
玉磨かざれば光無し。
光無きをば石瓦(いしかわら)とす。
人学ばざれば智無し。
智無きを愚人とす。
倉の内の財(ざい)は朽つること有り。
身の内の才(ざい)は朽つること無し。
千両の金(こがね)を積むと雖も、
一日(いちにち)の学には如(し)かず。
兄弟(けうだい)、常に合はず。
慈悲を兄弟(きやうだい)とす。
財物(ざいもつ)、永く存せず。
才智を財物とす。
四大(しだい)、日々に衰へ、
心神(しんしん)、夜々(やや)に暗し。
幼(いとけな)き時、勤め学ばずんば、
老ひて後、恨み悔ゆると雖も、
尚(なを)所益(しよゑき)有ること無し。
故(かるがゆへ)に書を読んで倦むこと勿(なか)れ。
学文に怠(をこた)る時勿れ。
眠(ねぶ)りを除ひて通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ。
飢へを忍んで終日(ひねもす)習へ。
師に会ふと雖も、学ばずんば、
徒(いたづら)に市人(いちびと)に向ふが如し。
習ひ読むと雖も、復さざれば、
只隣(となり)の財(たから)を計(かぞ)ふるが如し。
君子は智者を愛す。
小人は福人(ふくじん)を愛す。
冨貴(ふうき)の家に入(い)ると雖も、
財(ざい)無き人の為には、
猶(なを)霜の下の花の如し。
貧賤の門(かど)を出づると雖も、
智有る人の為には、
宛(あたか)も泥中(でいちう)の蓮(はちす)の如し。
父母は天地の如く、
師君は日月(じつげつ)の如し。
親族は譬(たと)へば葦(あし)の如し。
夫妻は猶(なを)瓦(かはら)の如し。
父母には朝夕(てうせき)に孝せよ。
師君には昼夜に仕へよ。
友に交はつて諍(あらそ)ふ事なかれ。
己(おのれ)が兄には礼敬(れいけい)を尽くし、
己(おのれ)が弟(をとゝ)には愛顧を致せ。
人として智無きは、
木石に異ならず。
人として孝無きは、
畜生に異ならず。
三学の友に交はらずんば、
何ぞ七覚の林に遊ばん。
四等(しとう)の船に乗らずんば、
誰(たれ)か八苦の海を渡らん。
八正(はつしやう)の道は広しと雖も、
十悪の人は往(ゆ)かず。
無為(むゐ)の都は楽しむと雖も、
放逸の輩(ともがら)は遊ばず。
老いを敬ふことは父母の如し。
幼(いとけな)きを愛することは子弟の如し。
我、他人を敬(うやま)へば、
他人亦(また)我を敬ふ。
己(おのれ)人の親を敬へば、
人亦(また)己(おのれ)が親を敬ふ。
己(おのれ)が身を達せんと欲せば、
先づ他人を達せしめよ。
他人の愁いを見ては、
即ち自(みづか)ら共に患(うれ)ふべし。
他人の喜(よろこ)びを聞いては、
則ち自ら共に悦ぶべし。
善を見ては速(すみ)やかに行(をこな)へ。
悪を見ては忽(たちま)ち避(さ)け。
悪を好む者は禍(わざはひ)を招き、
譬へば響きの音に応ずるが如し。
宛(あたか)も身に影の随(したが)ふが如し。
善を修する者は福を蒙(こうむ)る。
冨めりと雖も貧しきを忘ることなかれ。
或ひは始め冨みて終はり貧しく、
貴(たつと)しと雖も賤(いや)しきを忘るゝことなかれ。
或ひは先に貴く終(のち)に賤し。
それ習ひ難く忘れ易きは、
音声(をんじやう)の浮才。
又学び易(やす)く忘れ難きは、
書筆の博芸。
但し食有れば法有り。
亦(また)身有れば命有り。
猶(なを)農業を忘れざれ。
必ず学文を廃することなかれ。
故(かるがゆへ)に末代の学者、
先づ此(この)書を案ずべし。
是(これ)学問の始め、
身終はるまで忘失することなかれ。
実語教・漢文編 山高故不貴 以有樹為貴
人肥故不貴 以有智為貴
富是一生財 身滅即共滅
智是万代財 命終即随行
玉不磨無光 無光為石瓦
人不学無智 無智為愚人
倉内財有朽 身内才無朽
雖積千両金 不如一日学
兄弟常不合 慈悲為兄弟
財物永不存 才智為財物
四大日々衰 心神夜々暗
幼時不勤学 老後雖恨悔
尚無有所益 故読書勿倦
学文勿怠時 除眠通夜誦
忍飢終日習 雖会師不学
徒如向市人 雖習読不復
只如計隣財 君子愛智者
小人愛福人 雖入冨貴家
為無財人者 猶如霜下花
雖出貧賤門 為有智人者
宛如泥中蓮 父母如天地
師君如日月 親族譬如葦
夫妻猶如瓦 父母孝朝夕
師君仕昼夜 交友勿諍事
己兄尽礼敬 己弟致愛顧
人而無智者 不異於木石
人而無孝者 不異於畜生
不交三学友 何遊七覚林
不乗四等船 誰渡八苦海
八正道雖広 十悪人不往
無為都雖楽 放逸輩不遊
敬老如父母 愛幼如子弟
我敬他人者 他人亦敬我
己敬人親者 人亦敬己親
欲達己身者 先令達他人
見他人之愁 即自共可患
聞他人之喜 則自共可悦
見善者速行 見悪者忽避
好悪者招禍 譬如響応音
宛如随身影 修善者蒙福
雖冨勿忘貧 或始冨終貧
雖貴勿忘賤 或先貴後賤
夫難習易忘 音声之浮才
又易学難忘 書筆之博芸
但有食有法 亦有身有命
猶不忘農業 必莫廃学文
故末代学者 先可案此書
是学問之始 身終勿忘失

       実語教終
実語教・沿革 ■山高きが故に貴からず、樹あるを以て貴しとなす。人肥えたるが故に貴からず、智あるを以て貴しとなすといふ文句を冒頭として、児童のために教訓の事を説きたる「実語教」は、 「庭訓往来」、「女今川」などの類と共に、明治維新前には、寺小屋にて児童のための教科書として盛に用ひられたものであつた。
■その作者は護命僧正であると伝へられて居る。

護命僧正は南都元興寺に居つた高僧で、嵯峨天皇の弘仁七年に僧都となり、仁明天皇の承和光年に年八十五にして亡くなられた。平仮名のいろははこの護命僧正が作られたと」言はれて居るが、 「実語教」がこの護命僧正の作であるかどうかは明瞭でない。或は護命僧正よりもつと後の僧侶の手になつたものかも知れぬ。
■しかしながら、「実語教」の書が古くから世に行はれて居つたといふことは 長門本の「平家物語」の中に『山法師の習へる山高故不貴とはかやうのことを申すベき』とあるにても知られる。又同じく「平家物語」の中に源三位頼政が山門(叡山)と南都とをかたらひたるに山門が 忽ち心変りせしを南都の法師が憤慨して「座主経」一巻、「実語教」一巻を作りてこれを根本中堂に送つた。
■さうしてその「実語教」といふのは『おりべはいつたんの宝、身滅すれば則ち共に破る、 恥はこれ万代のきず、命終れども共に滅することなし、欲はこれ一生の恥、恥なきをもて愚人とす、四大日日に衰へ、三たふ夜々くらし、云云』とありて、戯れに「実語教」の文句に傲ひて叡山の僧侶を 罵倒したものである。
■稍々後になりて鎌倉時代の末期無住法師の「雑談集」にも『箱根山中葦河宿にて或旅人実語教を誦して曰ふ、山高きが故に不貴、飯大なるを以て為貴云云、家主とりあへず誦して曰ふ、 人肥えたるが故に不貴、以賃多為貴と、互に入興して飯大にして賃多くしたりけるといへり云云』との笑談が載せてある。これ等の事例によりて見るも、「実語教」の一事は鎌倉時代の末期には既に広く世 に行はれて居つたものと思はれる

■実語といふ文字は「法華経」を始として、「涅槃経」、「金剛経」、「大般若経」などにも出て居るもので、それが仏教の経典に本づきたることは疑を容れぬことである。従つて「実語教」が僧侶の手になりたること  も事実に近いものとすべきである。しかしながら、当時行はれたる儒教の所説をも採用して、初学のものに適切の教訓を説きたるもので、しかもその書が近代に至るまで、庶民教育の根本をなして居つたことを考ふれば、  我邦の精紳文化の発展の跡を顧みて、この「実語教」の如きはまことに尊重すべきものであると言はねばならぬ。よりて私はここに新にその意義を解釈して、これを現代の人人に提供し、少なくとも現に家庭の主人たる  母親若しくは将来に於て母親たるべき人人に対して、この書を一読あらむことを要求する。
その他 ■二宮金次郎が勉強したと云われる教材の中に「実語教」が含まれて居ます。
金次郎も学んだ実語教の教科書