【「耳寄りのお話」ー「戦艦ミズーリ号の秘話」】のページ


★ハワイ真珠湾に戦艦ミズーリ・博物館があります。
このミュージアムは日本人なら必見の価値があります。
いや見なければいけない場所と言ってよいと思います。
1945年9月2日、大東亜戦争の降伏文書の調印式が行われたのが、この戦艦ミズーリ号の甲板上でした。 ボランテイアで艦内案内を担当しているハワイ在住の長谷部さんから聞いた、降伏調印の舞台裏の秘話をご紹介します。

(⇒写真は真珠湾に浮かぶ「戦艦ミズーリ号」博物館)

■戦艦ミズーリー号の艦暦■
○発注:1940年6月12日  ○進水:1944年1月29日
○就役:1944年6月11日  ○退役:1992年3月31日
○総排水トン:48,500トン  ○速度:33ノット
○剰員:1851名  ○全長:270m 全幅:32.98m
○戦歴:硫黄島作戦・沖縄作戦・日本本土攻撃・朝鮮戦争
1955年一旦退役したが、1985年湾岸戦争に参加、トマホークミサイルを装備し、28発発射したという。
○沖縄作戦時に日本の神風特別攻撃隊に攻撃されたことがある。(後述)

■降伏文書の調印■
「降伏文書」とは昭和20年(1945年)9月2日、日本と連合国との間 で交わされた休戦協定の名称である。
ポツダム宣言の履行、日本軍の無条件降伏、天皇及び日本国政府の国家統治の権限が 本降伏条項を実施する為適当と認むる処置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれる事が正式に合意され、 東京湾上の米・戦艦ミズーリに於いて調印された。
日本側は天皇・日本政府の命に依り且その名に於いて重光葵外相が、 また大本営の命に依り、かつその名に於いて梅津美治郎参謀総長が署名した。
連合国側は連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー のほか、合衆国代表、中華民国代表、イギリス代表、ソ連代表、オーストラリア代表、カナダ代表、フランス代表、オランダ代表、 ニュージーランド代表が署名した。

(⇒写真はミズーリ艦内に掲示されている調印式の写真)

■降伏調印の秘話■
マッカーサーは降伏調印の舞台を整えるのに知恵を絞ったと言われている。
(秘話1)戦艦ミズーリー号を100年前のペリー提督の旗艦ポーハタン号が停泊した場所に停泊させた。

(秘話2)式中ミズーリの甲板は2枚の星条旗で飾られた。1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物、もう1枚は1853年の 黒船来航時にマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物であり、90年越しの勝利として日本に屈辱を与えた。 ホワイトハウスから運んだ、2枚の星条旗は、はるばる3日かけて運ばせたものであった。
(⇒写真は書名する重光葵外務大臣。背後に背の高い米兵達が見える。)

(秘話3)8時40分にマッカーサーは艦に到着、9時開始までの間、何度も洗面所で吐いて落ち着かなかったという。

(秘話4)日本側の重光葵代表の足が不自由であることを予測して、ハッチから乗船して調印場所までの歩む時間を何度も計らせて 調印のスケジュールのシミュレーションを行った。そして8時56分に日本代表団を船に着けさせたが予定よりも2分遅れて9時2分に式 が開始され、10分間のマッカーサーの演説を含め、9時26分に調印式は無事終了したという。この調印式は23分間に渡って世界中に放送された。
(⇒写真は調印式でスピーチを行うマッカーサー司令官)

(秘話5)日本側の代表団を威圧するために、調印会場の第2甲板のデッキに180cm以上の兵士を並べた。

(秘話6)マッカーサー元帥は6本の万年筆を準備して交代で文章に調印し、コレヒドール島で自分に代わって指揮をとったウェンライト、 シンガポールで降伏したパーシバル、ウェストポイント陸軍士官学校、アナポリス海軍兵学校にそれぞれ1本つずつ贈り、 1本は妻のジェーンに残した。そしてダグラス・マック・アーサーの署名を3本の万年筆で書き、正副2枚の署名で6本を使用したという。 そして妻の万年筆はどこで使用したのか?それは連合国側の控えの「アーサー」だったという。
(⇒写真は調印式が行われた上部甲板の床に 作られた記念プレート)

(秘話7)
降伏文書は正副2通作成され、各調印者は2枚の文書に署名をした。ところがカナダ代表コスグレーブ大佐が署名する際、 自国の署名欄ではなく1段飛ばしたフランス代表団の欄に署名した。しかし、次の代表であるフランスのルクレール大将はこれに気づかずオランダ代表の欄に署名、 続くオランダのヘルフリッヒ大将は間違いには気づいたものの、マッカーサー元帥の指示に従い渋々ニュージーランド代表の欄に署名した。最後の署名となる ニュージーランドのイシット少将もアメリカ側の指示に従い欄外に署名することとなり、結果的にカナダ代表の欄が空欄となった。

(⇒写真は「降伏文書」の日本側控えで、下部に空白が確認できる。)

■今の調印式の甲板■
降伏調印式の上甲板を上から見たスナップ。見学者が多い場所である。

■日本の特攻機がミズーリを攻撃■
○1945年4月11日4月11日午後、ミズーリに対して特攻機(爆装零戦)1機が低空飛行で右舷甲板に突入した。 幸いこの特攻機は、既に魚雷を発射した後であったのか、突入機の右翼は第3副砲塔上にぶつかり燃料に火が引火 した。艦は表面に損傷を受けたが、速やかに鎮火した。この攻撃の跡は現在も船体に残っている
(⇒写真は、日本軍特攻機が戦艦ミズーリを襲った場所に記念プレートがある。)

○特攻機が衝突した箇所が、今もへこんでいる戦艦ミズーリ。







■アメリカの武士道精神の秘話■
突入機の飛行士の遺体の一部が40mm機銃座から 回収され、ウィリアム・キャラハン艦長はこの飛行士を、名誉を持って自らの任務を全うしたとして海軍式の水葬 で弔うことを決定した。乗組員からは反対もあったが、艦長の命により翌日水葬が執り行われた。その水葬を執り 行うために日本海軍の海軍旗を3名の米兵が徹夜で作ったと言われている。

○この時、ウィリアム・キャラハン艦長の実兄は、ソロモン沖海戦で戦死されていたと言う。
○米軍は戦後、この特攻で戦死した日本兵の名前を調査して、日本人特攻隊員は後日石野節夫一等兵19歳であると判明した。 実兄は茨城県にご存命で、ミズーリ号を見学されたことがあるという。右の写真は、平成18年2月にミズーリ号艦内に 展示されていた写真を撮ったもの。

■米国最後の戦艦■
戦艦ミズーリには、過っての巨砲時代の大砲を今なお装備したままである。「最後の戦艦」 と言われる所以である。







■厚い防御壁の操舵室■
操舵室は30cmの厚い防御壁で覆われている。米国の持てる国の戦艦の作り方がよく出ています。 この1枚の写真で、米国の物量に果敢に立ち向かった日本軍の悲壮感が偲ばれる。








■戦艦アリゾナ記念館■
戦艦ミズーリ号の前方には戦艦アリゾナ記念館が見える。日本軍の真珠湾攻撃で撃沈した 戦艦アリゾナのメモリアルを、数百メーターの距離から、日本の降伏調印の会場になった戦艦ミズーリが見ている。真珠湾には歴史が詰まっている。


★戦艦ミズーリ号を見学し、降伏調印の舞台裏の秘話を聞くに及んで、当時連合軍最高司令長官ダグラス・マッカーサーも 勝利した後にも拘らず、意外にも日本側をかなり恐れていた様子が見て取れる。
8月30日に厚木飛行場に降り立った時も、実は彼の乗った飛行機は、出迎えていた日本側の待つ場所からかなり離れた場所に飛行機を停めた。そしてこの夜、 日本側が準備した宿舎には泊まらず(東京には入らず)、横浜の「ホテルニューグランド」315号室に宿泊した。彼の脳裏にはフィリピンのコレヒドールを 追われた時の日本軍のイメージが強かったのであろうか。