【岩倉使節団派遣までの歩み】のページ


外国との関わりについて歴史を紐解いて様々な事件を時系列に並べてみると、当時の緊張した 時代が伝わってくる。下記の表から幾つかの事が判る。
   ○外国からの日本への接触は19世紀の前半から頻繁に発生している。
   ○1852年までの幕府の対応は、ひたすら拒否している。
   ○ペリー来航以降は俄然積極的に海外の文明に立ち向かって行った。

時代 西暦 年号 年表 対外的アプローチ
江戸時代

1803

享和

アメリカ船、長崎にきたり通商を求む   
  ” 

1808

文化

ロシア使節、長崎にきたり貿易を求む   
  ” 

1808

文化

間宮林蔵・樺太探検着手   
  ”  

1810

文化

伊能忠敬・領内測量開始   
  ”  

1812

文化

ロシア船、高田屋嘉兵衛を国後沖合で捕らえる   
  ”  

1823

文政

オランダ医師・シーボルト着任   
  ”  

1825

文政

異国船打ち払い令   
  ”  

1828

文政

11

シーボルト事件発生   
  ”  

1832

天保

英国船次々に那覇へ漂着   
  ”  

1840

天保

11

オランダ船・アヘン戦争を報ずる   
  ”  

1843

天保

14

イギリス艦八重山に来たりて測量。宮古島へも来る。   
  ”  

1844

弘化

元年

オランダ国書をもって開国を薦める。
フランス艦、那覇へ来て通信・貿易・布教を求める。
  
  ”  

1853

嘉永

アメリカの使節・ペリー来航   
  ”  

1854

嘉永

ペリー再来航 日米・日英・日露和親条約締結
  ”  

1854

安政

安政の大地震が起こる 日仏・日蘭和親条約締結
  ”  

1860

万延

桜田門外の変 遣米使節団・咸臨丸出発
  ”  

1861

文久

   遣欧使節団出発
  ”  

1862

文久

生麦事件起きる 上海使節団出発・オランダ留学生出発
  ”  

1863

文久

薩摩英戦争起きる 遣仏使節団出発
長州イギリス留学生出発
  ”  

1864

元治

第1回長州征伐 上海使節団二次出発
  ”  

1865

慶応

第2回長州征伐 上海使節団三次出発・ロシア留学
イギリス留学
  ”  

1866

慶応

薩長連合成立 遣露使節団・遣仏使節団出発
アメリカ留学・イギリス留学
  ”  

1867

慶応

大政奉還・王政復古・戊辰戦争 遣仏使節団(幕府・佐賀藩)
上海使節団第四次出発
  ”  

1868

明治

明治維新・五箇条のご誓文   
  ”  

1871

明治

廃藩置県 岩倉使節団